ぼくの観察日記

思ったことを書いたりします。

エロマンガ先生の感想。(キャラコンテンツと、和泉紗霧というダメ押し。)




人気のアニメ「エロマンガ先生」。恐らくこの春、最も絵師に描かれているキャラクター「和泉紗霧」が登場するアニメとして有名であろう。

 

今回はそんな「エロマンガ先生」について記事を書きたい。批判するワケでは無いが、この作品はキャラ以外の部分に全く力を入れていない。あるいは、重視されるコンテンツというものが、ストーリーではなく登場キャラクター単位となっている。そんな、いわゆるキャラコンテンツについて、エロマンガ先生を通した僕なりの解釈を記述したい。

 

キャラコンテンツとその背景

 まず、当記事内での「キャラコンテンツ」を定義しておきたい。これが「キャラクターコンテンツ」の略称であることは想像にかたくないだろうが、その名の通り、キャラクター自身がコンテンツとなることを指す。つまり、脚本(ストーリー)ではなくキャラクターを軸とした作品をキャラコンテンツと呼ぶ事にする。

 

近年最も流行したキャラコンテンツは恐らく、『艦これ』であろう。だが、もちろんそれ以前にもキャラコンテンツというものは存在し、それ以降でも無数の作品が誕生してきた。例えば艦これが、内容はゲーム性など皆無で、フラッシュという今時レガシーすぎる環境を用いた実装、しょぼいサーバーのおかげでイベントマップクリアの瞬間にフリーズし、利用者を馬鹿にしたような(最近はそうでもないのかもしれないけど)内容であったにもかかわらず、艦娘というたった1つのコンテンツのみで成功してしまったように、キャラのみでのし上がってきた作品は少なくない。

 

あるいは、昨今で大流行している日常系アニメと言われるものはキャラコンテンツの類になるだろう。例えばごちうさ は、2014年に第一期アニメが放送されて以来、順調に人気を獲得している。その人気は、2017年現在であってもコラボ商品などが絶えない程だ。そんなごちうさをはじめとした日常系アニメは、キャラコンテンツを代表する作品体系だ。日常系アニメでは、サザエさんドラえもんのようにトーリーを各話で完結させ、話の展開よりもキャラクター設定の方に重きを置かれる傾向がある。言うまでもなくそれはキャラクターを軸とした作品となり、正しくキャラコンテンツとなっていく。

 

また、最近ではラノベ原作アニメ(ライトノベルを原作としたアニメ作品)も目立つ。ラノベ作品にも種類があるが、今回の場合はいわゆる「ハーレムモノ」を指す。これも先ほどから言っているものの類に含まれると思われる。ラノベということで、ストーリーというものが一応存在し、その上でキャラをどのように魅せるか、ということに重きを置かれる傾向がある。

 

 そんなわけで、当記事での(というか僕なりの)『キャラコンテンツ』の定義については以上のような形となる。 そういうわけで、以下より『エロマンガ先生』の話をする。

 

 

エロマンガ先生』とキャラコンテンツ

 2017年春に放送。原作「伏見つかさ」、キャラクターデザイン「かんざきひろ」という『俺妹』コンビによって描かれる作品として話題に。ラノベ作家の主人公と妹、そしてその他のヒロイン達が登場する。妹の和泉紗霧は特に人気で、あらゆる絵師によって彼女のイラストがTwitterSNSに投稿され、ブームとなった。

 

 当作品も、キャラコンテンツに含まれると解釈できる。ラノベを原作とする為、一応のストーリーが存在するが、その内容はハッキリ言ってかなり薄く、雑であるとさえ言える。しかし、乱暴な展開が問題とされない程に、登場するキャラクターの"魅力"が大きい。当作品では『和泉紗霧』をはじめとするヒロイン達の"魅力"が「これでもか!」という具合に強調される。実際、和泉紗霧は可愛い。おパンツを舐めたくなるような可愛さや魅力を持ち合わせているし、そういった要素が最大限に引き出されるような仕組みが組み込まれている。

 

 

エロマンガ先生に無いもの、あるいはあるもの

さて、そんなエロマンガ先生について簡単に分析してみたい。以下、”あるものとないもの”をまとめた。

あるもの: キャラクター

ないもの: 脚本、演出、心理描写

ファンの方にぶっ飛ばされそうなことを書いている自覚はあるが、とにかく話を聞いてほしい。当作品には、キャラクターがある。『和泉紗霧』は可愛いし、『山田エルフ』も可愛い(もちろん『千寿ムラマサ』などのキャラも)。一方で、脚本や演出、あるいは心情描写というものがかなり雑という印象がある。例えば第7話では、千寿ムラマサの告白というものが極限までインスタントに扱われる。第9話でも同じく、場面設定や背景設定まで用意し、山田エルフの告白(?)が上手く演出されたように見えたが、実際、これは主人公の「和泉紗霧への思い」を強調する以外の意味を持たず、"和泉紗霧ルート"の糧となって消えていく。

 

 

そんなワケで、『エロマンガ先生』の感想を書きたい。

以上、エロマンガ先生について簡単に記述してきたが、そろそろまとめたいと思う。ていうか、まとめとか言っておきながら全然説得力のあることを言えてないし記事にできるか微妙なラインなので、作品の感想だけ書かせてほしい。

 

 ひとことで言わせてもらうと、かんざきひろの真骨頂という感じであった。当時、かんざきひろアニメとして有名な『俺妹』は、それなりの物語性があり、その上でキャラの様々な一面を楽しむような作品だった。一方、今回のエロマンガ先生という作品では、キャラの魅力をそれぞれ単品で楽しめるような作品になっていたと思う。キャラ自身がだらしない感情を丸裸にし、恥をかき、それを乗り越えて一丸となって行くような展開はまったくなかったにせよ、実に平和に、かつ大胆にヒロイン達を表現していた。

キャラクターが様々な表情を視聴者に見せ、それぞれが無邪気にやりたいことをやっているような作品であった。平和であった。

 

  エロマンガ先生は、キャラコンテンツというものを突き詰めていった先の到達点としてみなすことが出来るのではないだろうか。作品を構成する要素が、全てヒロイン達の魅力を上げる為に組み込まれていたように思う。最終回12話では結局、和泉紗霧、山田エルフ、千寿ムラマサなどの全ヒロインが登場し、キャラそれぞれの魅力を確認させられる。というか、和泉紗霧が可愛すぎた。うーん、夏コミが楽しみだ・・・。